Story 8. Hole / 穴の花瓶

English version : Story 8. Hole

In between of the panels (以下panels)の続きの作品。
panelsでは、日常の隙間(すきま)をテーマにした作品であった。

今作のHoleは、隙間を押し広げ、大きなまるい穴にしたもの。
“隙間”のみを抽出して単純化した、まるい穴。

穴は、現在いる空間と異空間とをつなげる。

それは、
ドラえもんに出てくる道具の通りぬけフープの穴であり、
ポルナレフを苦しめたヴァニラ・アイスのスタンドのなんでも飲み込む口であり、
映画スターゲイトの星をつなぐ輪であり、
ドクター・ストレンジの輪っか状のワープゲートであり、
寄生獣シンイチの胸の穴でもあり、背中の穴とも言える。

出典:ドラえもん 9巻「通りぬけフープ」- 小学館てんとう虫コミックス – 藤子・F・不二雄 (1975)

出典:ジョジョの奇妙な冒険 26巻 集英社 – 荒木 飛呂彦 – (1992)

Photo by Jeremy Perkins on Unsplash

以前の制作過程から、壁に花を飾る行為の本質的な意味は、「内と外の境界・自身と他者の境界を変えるため」という考えに至った。

今回の花瓶は、境界である”壁”に大きな穴を空けている。

まるい穴の先にあるのは、別の世界だ。

もし自分の部屋の壁に大きな穴が空いているとしたら、不安な気持ちになるだろうか。

まるとしかく:”まる”カタチにある特異性

空間の出入り口として、ドアや窓が部屋に存在する。そして大抵の窓やドアは、四角い。それは建築構造の都合や、作りやすさ・使いやすさが理由にあるはずだ。
逆に、まるい形の窓やドアがあるのは特別な場合に限る。

Photo by Sven Read on Unsplash

ドアは、他の空間と行き来するもの。
“まる”は単なる行き来ではなく、何か特別な空間の接続という意味を持つ。

ドラえもんの未来の道具の「どこでもドア」と「通り抜けフープ」を比較すると、この違いが分かりやすいかもしれない。

「どこでもドア」はドアで、「通り抜けフープ」は、まるい。
通り抜け”ドア”とはならない。
通り抜けフープには、単に空間を移動するのではなく、”くぐる”という、少し悪いことをしているような秘密めいたワクワク感がある。

普通や自分を超えた存在“まる

「天は丸く、大地は四角い」という古代中国の宇宙観を表現した、天円地方(てんえんちほう)という言葉がある。

古代の中国では、円や丸・球体という形は、”天”を現す象徴として用いられてきた。
一方で、天に対するものとして、私たちが暮らす地面は方形(四角)となる。

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天は、自分の上位概念(神様や運命、大自然など、自分の思考・行動よりも強い存在として捉えているもの)を表す。

一方で、四角・方形は、我々の世界だ。
四角は通常の世界、日常の世界ということになる。
普通の安心、日常の安心がある。

もし、まるい穴が部屋の壁に現れたら、そこから何が出てくるか、どこに通じているのかと何か特別な印象を持つはずだ。

穴の花瓶

四角い部屋に突如現れるまるい穴は、日常の中で形づくられた世界に、文字通り穴をあける。

日頃意識しない自分の内側の世界と、外側の世界の境界にある穴に気がつく。

その穴をよく見ることは、自分の当たり前だと思っていたことが本当にそうなのか、根底には何があるのかと覗き込む行為だ。

  • 普通と思っていた世界に、底の見えない穴がある。
  • 自分の心の中に、他者が気づかない、もしかしたら自分も気づいていない穴があいている。

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

ニーチェ

Photo by Nicolas Häns on Unsplash

何の気なしに過ごしている日常の中で、ふと根本的な何かに対面することがある。

例えば、自分が正しいと思っていたことが揺らいだ時、気づかないふりをしてきたことを直視する時、関わりが遠いと思っていたことが身近なものであった時である。
(不平等、道徳、正義、利己・利他、主義の違い、など)

人は、違和感に触れた時、事象を客観的に捉えようとしたり、自分の価値観と照らし合わせたり、自分の価値観の正しさに疑問を持つなどの思考する。

そして、頭で理解しきれない自分の最終的な感情の源、基準となるものが心の底にあると思って、自分の心を知ろうとする。

今までの経験を基にした思い込みや、社会通念、一般常識の枠をひとつひとつ取り払って自分なりの答えを探す。
心の奥底を見つめていく作業の中で、その作業自体も何かに影響されたものであることにも気がつく。
そうやって分からないものばかりにまみれながら、いつか根源的な何かに触れるのだろう。

心の中にある穴、その深淵の底に何を見るだろうか。
美しいものを感じとって、やすらぎを得たい。

制作について

黒い塗料

反射率0.6%という、光を反射しない黒色の塗料を使用した。
真っ黒に限りなく近く、空間に穴が空いたように見える効果を狙った。

この花瓶の中心には本当の穴があり、裏側の小瓶に通じている。そこに花を挿せる。
あたかも何もない空間に花が生えているように見えるだろうか。

Story 7. In between the panels / コマとコマの間の出来事

English version : Story 7. In between the panels

私の好きな映画スーパー!(原題: Super)の中に出てくるセリフ「コマとコマの間に起きた出来事なのね」から着想した作品。

着想の元

スーパー!の冒頭シーンとエンディングシーン

映画スーパー!の冒頭、主人公の中年男性が「自分の人生の中に、完璧な瞬間が2つある」とそのシーンを思い出しながら自分語りが始まる。


彼はその2つのシーンを色鉛筆で絵描いて、壁に貼る。シーンのひとつは<妻と結婚した時>、もうひとつは<街なかで泥棒を見かけて、すぐ後に泥棒を追いかける警察官に「(泥棒は)あっちです!」と教えた時>。

その2つの思い出以外は彼の人生はいつも暗く、苦しいものだった。子供の頃はいじめられ、思春期もパッとせずに過ごし、自分はとてもつまらない人物だと考えてきた。しかし彼にとって完璧な2つの瞬間があったことで、彼はかろうじて誇らしく生きられている。

なんやかんやあって、映画のラストシーン。主人公がベットに座って部屋を眺めている。冒頭のシーンと同じ構図である。

冒頭とは違い、壁には、一面に沢山の絵が飾られている。
友達の結婚式に出席した時の絵、街で人と挨拶を交わした時の絵、うさぎを飼った時の絵などの沢山の絵が部屋一面敷き詰められている。

当初2つしか良いことがないと思っていた人生とは大違いである。
ある事件をきっかけに彼の人生は変わった。しかしその「事件」が起きたことだけで、彼の身に良いことばかりが訪れるようになったわけでわない。変わったのは彼の日々を過ごす姿勢・視点であり、彼の人生の捉え方である。


なんでもない日常は、宝物のような瞬間が山のように存在しているはずだ。

人生の中にある「すき間」について

また、映画の中で、極度にアメコミが好きな女の子 リビー(エレン・ペイジ)が出てくる。

Photo by Erik Mclean on Unsplash


彼女のセリフに、「コマとコマの間に起きた出来事なのね」というものがある。
コミック好きの彼女ならではの表現だ。

読者は、漫画に書かれている各コマを見ることで、出来事・ストーリー・キャラクターの感情などを読み取れる。しかし読者は、コマとコマの間の余白、つまり絵に描かれていない間は、キャラクター達にどんな出来事があったかを知ることはできない。誠実なキャラクターが実は不倫しているかもしれないし、正義のヒーローが、悪のラスボスと今後のシナリオを打ち合わせしているかもしれない。

コマに書かれていないこと(=人目に触れないこと、表にでない出来事)も存在するはずだ。


「コマとコマの間の出来事」は、秘密めいていて、魅力がある。
その隙間に何が起きているだろうかと想像を膨らませる。
もし、コマをめくって覗けたら、そこには描かれていない真実、表には出ない内面の心情(それは誰に知られることも、理解されないもの)があるだろう。

秘密めいて好奇心を掻き立てられるが、その裏側を見ないからこそ、観客は安心して楽しめるのかもしれない。

  • 人生には、壁一面に敷き詰められた宝物のような瞬間が沢山ある。
  • そして、リビーのセリフにあるように「コマとコマの間の出来事」も無数存在する。忘れ難い瞬間、人には言えないが大切な思い出は、形に表れないが、確かに存在する。

日常の素晴らしさ・表出しない価値

人はそれぞれ、思い出になるシーン、最高の瞬間を持っている。


何かを受賞した時の記念写真や友達と集まった集合写真などを見ることで、その時の幸せな気分を思い返せる。例えば、Instagramの写真などは、人生のいちシーンを切り取って記録し共有されたものがある。


しかしそれらは当人にとっての人生の時間の中ではごく一部でしかないし、それらの写真は非日常時の瞬間を収めたものが多い。当然ながら、写真に映っていない時間の方が、圧倒的に長く存在する。


人生で大切なものは、表立って形に残っているものだけではない。

大きな出来事が何もない日、穏やかな日々の暮らしの中、人知れず一人過ごす時間の中、表立って会えない人との逢瀬など、「ほんとうのこと」や隠されたストーリー、大切な日常は、メディアに映っていない時間の中に存在する。


本人にとって人生で最も価値が高い瞬間は、そのような表出しないところに存在していることが多いのではないか。

すき間を表現する形

「コマとコマの間」という考え方は、2次元の漫画を、3次元的に捉えたものだと思う。架空の世界を現実の世界の一部と捉えている。


今作では「空間の隙間」を作ろうとした。コマ(ひとつの面)の2次元的なイメージ(紙のようにペラペラなもの)を構成して、「すき間」を作った形。壁がめくれたり、へこんだりして、そこにすき間が生まれているような形を目指した。現実の世界に「想像のすき間」を持ち込んだ花瓶とも考えられる。


「めくれる」、「へこむ」という表現は色々と考えられると思う。今回は、4つの面からすき間ができたものを制作した。

そして、同じシリーズの別バージョンとして、面(壁)が切れて湾曲したものも作った。


空間のすき間に、花を生ける。

もし、すき間(人・人生の本質・裏側・表に出ないもの)を覗いて見ることができたら、そこには可憐な花が穏やかに咲いているといい。


Story 6. Reaction

English version : Story 6. Reaction

水面を歪めた形

前作 [Pond]では、水面(現実世界と理想の境界)をテーマにした作品であった。

「池の水面に映った月に飛び込むカエル」に、現状打破・未知への挑戦的なものを目指すキャラクターを投影している。

今作 [Reaction]では、挑戦によって生じる作用(Reaction)を、「境界の変化」つまり水面の形状の変化で表現しようとした。
「Pond のその後」という位置付けとなる。

水面に飛び込んで突き抜けようとするが、水面自体が粘性のあるスライムの様に変化し、なかなか突き抜けられない形。

水面に飛び込んだあとに、水中に気泡が生まれた形。

水面に生じた波紋の共鳴により、力を加えたところではない場所に、変化が現れる形。

挑戦に対する結果・作用・フィードバック

何かを目指して、何かを変えようと、一生懸命挑戦してみる。

すると、頭の中にあった理想のイメージは実現し、現実のものとなる。
全部が思い通りに実現することもあれば、一部だけの場合もある。

または、いくら挑戦しても現状を変えられずに、なんの変化も起きないこともある。

もし意図通りの変化を起こせなかったとしても、諦めずにやり続けることで何かを得られることもある。


挑戦したことによって、自分が思いもしていなかった変化やフィードバックが起きる。

自分が想像していた結果とは異なったとしも、それ以上のものを得られることがある。

何かに挑戦することは、無駄になることはない。

水面の先にある未知の領域へ飛び込んで、そこで生まれるもの、そのすべてを肯定的に受け入れたい。

前作[Pond(池)]で考えた通り、鑑賞者は「水」から「時間の流れ」を感じとる。
今作では、本来形の定まらない水を固定しているので、氷のように見える。

実際にこの花瓶は、氷ではなく、溶けないし、形は変わらない。
時を止めて、水に何かが入った一瞬を捉えたように見える作品になったと思う。

失敗しても諦めない

今回の花瓶は、粘土とシリコンで鋳型を作り、そこにレジンを流し込んで制作している。

しかし鋳型の造りが甘く、レジンが鋳型から漏れてしまい、意図しない気泡が発生したり、レジンの量が足りなくなるトラブルが起きてしまった。

ゴミ同然のレジンの塊が出来てしまった。

そこで、私は完成を諦めて作り直すべきかどうか迷ったが、私の貧乏根性によりその塊を捨てられず、なんとか形になるように工夫をして完成させることにした。(いわゆる、巨匠は「ええぃ!これじゃいかん」と放り投げるくらいのこだわりを持っているのだろうけども、私は材料の費用と、そこまでにかけた大量の時間を無駄にできなかった。)

想定の形とは異なるものができたが、気泡が溢れ出ている感じなど、想定していなかった良い効果が得られたと思う。

今作のテーマである「挑戦とその作用」を体現した作品になった。