Story 2. Dimension (次元)

English version : Story 2. Dimension

壁掛け花瓶 [Dimension]

壁をムニっとつまんで、前に引き出したかたち。平面の壁から境目なく曲面となり花を挿せるようにしている。

平面と3次曲面をスムーズに美しくつなげる造形は意外に難しく、何度も曲面の造形を調整した。

制作開始:2020年 9月 5日
完成  :2020年 10月4日
素材  :粘土、木、ガラス、レジン、針金

壁と花瓶の融合。2次元と3次元の中間

前作の「」の制作過程で、壁掛けの花瓶は、外と内の境界を曖昧にする存在として捉えられるー という考えに至った。

次のテーマとして、「境界上にある存在」をかたちにしていくことを試みた。

「境界上にある存在」を実現するには、花瓶としての形は不要だ。壁と花瓶の区別をかぎりなく曖昧にしてみる。

花瓶の立体的な存在感を限りなく無くすことで、そこに生けられた花は、「境界上の存在」という役割だけが残るのではないか。

2次元的な面(壁)。

3次元空間に、立体として存在する花。

この壁面と花、平面と立体物、2次元と3次元、その中間にある「花瓶」を、その中間性を保ったままのかたちにした。

空間の境界としての「壁」

「壁」は、3次元空間で過ごす私たちを、別次元の概念(2次元)で、切り離す存在である。

「切り離す存在」というのは、壁の向こう側とこちら側は別の空間であるということ。2次元の遮蔽物(=壁)が、2つの空間を隔てるということを意味している。

ドラえもんに出てくる未来のひみつ道具「通り抜けフープ」は、壁に穴を開けて向こう側へ行ける。あるエピソードでは、入り口の壁と出口の壁の接続をねじ曲げることで、別の場所につなげるという使い方もしていた。
「壁」が「空間の境界」であることをよく現していると思う。
ここでの壁は、単なる”境目”でしかない。

「空間の境界・壁」を、”塗り絵”に例えると、色を塗り分けるための”線”である。
線は、境界でしかないし、線には色を塗らない。

しかし、実際の壁は、断熱材・防音材などを有した厚みがある。

一方で、普段部屋の中にいる我々は、その壁の厚みを意識してはいないのではなかろうか。我々は、“壁に囲まれた部屋”という”容積のある箱”の中にいる。その箱の中に、家具やベッド・本棚などの物・立体物を配置している。

壁は境界なので、堅くて、明瞭であることが自然だ。
例えば、ふかふかの壁・ふにゃふにゃの壁があったら、なんとなく居心地が悪いのではなかろうか。

ふにゃふにゃの壁に触ってみたい気はするが、境界としての役割を損なってしまう。

出典:映画 マトリックス
(原題: The Matrix )(1999)

映画マトリックス(Matrix)の中で、主人公の手が鏡と融合してしまうシーンがある。世界の境界が曖昧になり、自分という存在が不明確になる怖さ・気持ち悪さがある。

今作は、壁(境界)の一部をやわらかくし、花瓶と融合している。

制作の試行

一般的に、壁は硬いものであり、変形しない。この花瓶[Dimension]は、壁が変形して花を挿せるようになったようにも見えれば、花瓶が平面化して壁と融合したようにも見える。
どちらにせよ異質な状態である。

その異質感や曲面の形状が醸し出す肉感から、どうしても「気持ち悪いもの」に見えてしまう。その気持ち悪さが目立たないように造形に注意した。

平面から曲面(壁と花瓶)を完全につなげようとすると、特に平面から曲面へ変化する部分が目立ってしまい、より違和感・異質感が余計に際立つ。

そこで、額縁を外枠として追加して、本当の壁面と花瓶の平面がつながる部分を誤魔化した。もともとの発想は「融合」であり、その造形の実現を目指していたため、不本意な策ではあった。

しかし結果的には、形状の違和感がなくなり、うまくいったように思う。

額縁は、壁に絵や写真などの平面の作品を飾るものである。

額縁を追加したことにより、額の中から立体として花瓶と花が飛び出しているように見えるようになったと思う。

Story 1. 雲

English version : Story 1. Cloud

雲型花器

壁掛け花瓶「雲」

どんな花瓶を壁にかける?

この問いを考えると「どんな壁にしたいか」から、「どんな部屋で暮らしたいか」となる。

ほのぼのとした雲が浮かぶような部屋にしたいと考えた。

それにしても、部屋にいながら雲の下にいたいと思うのはなぜだろうか。

「自分だけの占有的・閉鎖的な空間」と、「解放された空間(外、自然界)」そのどちらも魅力的な場所なのだろう。

雲型花瓶
雲型花瓶

制作開始:2020年 8月 9日
完成  :2020年 8月12日
素材  :粘土、木、ガラス、レジン、針金

外と内。2つを隔てる壁。

「部屋に花を飾る」という行為は、外にある自然からその一部を切り取って、部屋の内側に持ってくるという行為ーというようにも捉えられる。

外と中、自然と人工、世界と自分を区切り、隔てている「壁」。

壁は境界である。

壁掛けの花瓶は、境界線上に存在することになる。

ということは、花瓶には外と内の2つの領域を混ぜ合わせたり、領域の区切りを曖昧にする役割があるのかもしれない。

Photo by Will Francis on Unsplash

花を飾るのは何故か

「部屋に花を飾ろう」というのは、「自然に近づけよう」「自然を感じよう」という志向と等しいと思う。もし本当にそう思って、シンプルに自然に対する欲求を叶えたいならば、自分が外に行けば良い。外で暮らせば良いとも言える。

しかし外で過ごすのではなく、自分の過ごす外とは区切られた自分の領域に、花を持ってくる。その根元には、自然を自分のものにしたい、自分の空間を良いものにしたいという自己中心的な欲求があるのかもしれない。外に生きている花を、その花の寿命を縮めることを厭わずに、持ってきて、自分のものにして、飾るのである。

こう考えると、花を飾る行為は、少しばかり自己中心的なもので、消費行動のようにも感じてしまう。しかし実際は、より良く暮らしたい・より気持ちよく美しく過ごしたいということが頭にあるだけで、自然に対しても誰かに対しても、悪気はない。

つまり草花は、「どこにどうあろうと、癒してくれるモノ、価値のあるもの」として認識されているのである。それゆえに、草花は外と内を行き来できる存在なのかもしれない。みんなのものでもあり、自分のものにしても良い。存在してそこにあることに価値がある。いくら鑑賞されても減らないし、誰に見られても良い。人にプレゼントすることもできる、何もしなくてもいずれ枯れてなくなってしまう。

「花を飾る」のはなぜか。外(や他者)と内(自分)の境界をつなぐためー これもひとつの答えかもしれない。

外と内、自然と人工の境界の関係を考えさせる作品となった。